(注1) 鯖街道
若狭から京都へ塩鯖などの海産物を運ぶルートを鯖街道と呼びましたが、いくつかルートがあり、特定された道を指したのではありません。
鯖街道と呼ばれた主な道には、次のルートがありました。
@ ここで紹介している「針畑越」と呼ばれた道で、小浜から遠敷、上根来を通り針畑峠で国境を越えて、大原から京都へと入った道
A 小浜から南川をさかのぼり、堂本から知井坂で国境を越え、 鷹峯から京都へ入った道
B 小浜から南川をさかのぼり、堂本で分岐して虫鹿野を経て杉原峠(生杉越)で国境を越えて、鞍馬から京都へ入った道
C 高浜から福谷坂峠・石山坂峠を経て堀越峠で国境を越え、Bのコースと合流した道などがありました。
また、九里半街道(熊川街道)から保坂で分かれて朽木谷を通り、@のコースと合流する道もよく利用されました。
(注2)「雅狭考」
明和4年(1767)若狭小浜の住人、板屋一助が書いた全十巻からなる地理・ 歴史の本です。 |